戦国時代松山と古川の間に橋があり、一部では柴橋?と呼ばれていたらしい。この意味は伊達軍が大崎に攻め入ったとき途中に川があったためこの川を渡るのに柴をかけて渡ったとか云われています・・・・・・場所は現在に敷玉近郊と云われていますが???(志田橋近郊なら領地の近くなので事前に橋の準備はできたと思われるが?)
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2012/5/9
戦国時代松山と古川の間に橋があり、一部では柴橋?と呼ばれていたらしい。この意味は伊達軍が大崎に攻め入ったとき途中に川があったためこの川を渡るのに柴をかけて渡ったとか云われています・・・・・・場所は現在に敷玉近郊と云われていますが???(志田橋近郊なら領地の近くなので事前に橋の準備はできたと思われるが?)
— posted by 元祖奥州探題 at 08:02 pm
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2012/4/25
大崎市古川の北部小野近郊に古代の時代(奈良か平安時代前後)に旗塚といわれたものがあったといわれています。現在小野の表刀神社近郊には旗塚があります。現在は表刀神社の祭りの時にのぼり旗たてるといわれています。5つあるようです。これは古代からの言い伝えが変化したものと思われます。
— posted by 元祖奥州探題 at 06:37 pm
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2012/4/11
江戸時代の頃百姓一揆があっちこっちで起きたといわれていますが、おそらくこの大崎地方でも例外ではなかったのでしょうね。今回は今から10数年前に加美町中新田の夏祭りで行われた百姓一揆のアルバムを掲載しました。大名行列等は各地でありますがこのような一揆が行われたのは珍しいのではないでしょうか?ただこの大崎地区で起きた一揆(戦国時代後半)はおそらく通常の百姓一揆とは違い、
— posted by 元祖奥州探題 at 06:16 pm
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2012/4/6
今流に言えば無く子も黙る八幡太郎となるのでしょう。大阪河内の出身で源氏の頭領とまで言われています。その義家が東北で大活躍は前9年、後3年の役に出てきます。特に大崎とでは前9年の役でしょう。カルタの如く花渕山から矢盾柵を落とした戦いは言葉につきるでしょう。花渕山は歩いても2時間弱でそこを越えて鬼首道路の矢盾柵を落としたと思われます。
— posted by 元祖奥州探題 at 08:15 pm
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2012/3/21
岩手の奥州市江刺に藤原の郷があります。平安時代東北に一代王国を作った藤原氏の時代を中心にした各種の旧跡等を復元した歴史公園があります。ここにはその時代を知るため復元施設がたくさんあり勉強になります。
— posted by 元祖奥州探題 at 08:38 pm
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